前面道路の幅員は4m。3階建てなので道路斜線が厳しかったが、裏が公園に面して借景が望めた。クライアントもこの借景があることでこの地を選んだとのことである。
道路斜線ギリギリの屋根勾配を持ち、敷地が変形であったために屋根形状は複雑になったが、逆にそれは借景側において特徴を持たせることができた。

当社は、設計して施工もするのが基本姿勢であったが、クライアントの懇意にしている工務店があったので設計施工は分離となった。建築界ではそれが正常で健全な形態だという。しかし私には全くそうは思えない。自分で設計し自分で作ったほうがはるかに良いものが出来る。そして何より良いと思えることは、施工において設計を確かめることができることだ。そして施工から得た知識を設計にフィードバックさせることが出来る。そのことで質の高い嘘のない建築を作ることが出来る。そうした作り方は、アメリカではアーキテクトビルダーという言葉も定着しており市民権を得ているのに対して、日本の建築界の認識は遅れている。施工には設計者の管理が必要だというのがその理由だろうが、施工と距離を置く設計者を増やすことになり、ますます施工を知らない設計者が施工者の言いなりになっている現実を生んでいる。そのような設計者が一体どれほどの管理ができるというのか甚だ疑問である。
その話は別として、今回は設計だけの仕事となった。

クライアントは、アート感覚に長けていてこちらからの提案の多くを受け入れてくれた。しかし残念なことにアートの造形を頼める職人がいなかった。当社は町中のごく普通の職人集団だ。施工を担当した工務店にもそのような職種の協力者はいなかった。その頃ちょうどアーティスト集団である製作美術研究所と知遇を得ていたが、アート価格を恐れて仕事を依頼したことはなかった。思い切って相談を持ちかけた。建築価格でアートをお願いできないか。
快く引き受けてくれた。ありがたかった。

しかし、私には一抹の躊躇があった。外部のブレインを導入することで私の作品ではなくなってしまう。今まで設計も施工も自分でやってきた。細部まで私の作品だった。その純度が削がれるのだ。しかしそれは、どこまで行っても自分を超えられない、ということでもあった。自分に閉塞感を抱いていたわけではないが、どのような展開が待っているのかという期待が大きかった。

それは期待以上だった。アーティストならではのテクスチャーもあり、自分の枠を軽々と超える喜びがあった。窓が一つ開かれたようであった。

竣工:1995年

所在地 :東京都江東区

主要用途:専用住宅

構造  :鉄骨造3階建

規模  :敷地面積 74.0㎡
・    延べ面積 138.0㎡

掲載雑誌
・ 日経アーキテクチャ1995.5-6住宅Now
・ 日経アーキテクチャ2002.2-18技術クリップ
・ NewHouse 1997-7
・ NewHouse Mook 1997-10(No43)
・ 建築技術 1996-7(556)

TV
・ TV朝日 建物探訪

 

[ クライアントのコメント ]

築24年目。都内の僅か23坪のやや変形の土地だ。海野さんには、通る人が楽しめる家❕何年経っても飽きない家の条件で設計してもらった。24年経過して大きく変化し、家に対しての意識が変わった事❕❕外に植えた植栽が枯れた。では、どうすれば良いかなぁ❔自分の家に合う小さな庭を作る。海野さんに植木鉢と庭のイメージを伝え、設計してもらい作ってもらった。やはり、全ての家に関わるデザインに合う形に後からでもやれる。この点を私は、気に入っている。後々の相談やちょっとした修理までもやってくれる。ありがたい。更に夫婦だけになった今、やはり空いた部屋の使い道に苦慮している。これは予想外であった。何が一番の悩みか❕ドアを付けずに大きな部屋1つと考え、開閉式ドアではなく、収納可能な引き戸か上下左右非対称型の部屋を仕切る❕❕と言うデザインだったらもっと、生活環境に変化があったかもと❔❔思われる。良いと思いながら作った家でも、年齢や生活変化によって家の使い方は、大きく変わる。こまめに動いてくれる海野さんだから、尚更、次々に家に対しての変化を楽しみたいと思うのかもしれない。(2018年)