隅田川の花火が間近に眺められるところにあるこの敷地は、8.5坪。このあたりは小さな敷地が寄り集まっており、その中でも小さい方だった。先月10数人集まり花火見物をした。4階サンルームのスライド式天窓により花火を充分楽しむことができた。天窓はこの家のために開発した。南面ファサードの曲窓は自邸で開発したものだが、この家にも採用した。それらは大地の玄関からうねりながら連続して上昇し、プランターを形成して一つの終結となる。が、そこに溜められた上昇エネルギーが、さらに天窓を通し空へと連続していく。天地人の三位一体の空間が誕生する。まさに天に咲き乱れる花火を見物するにはふさわしい。

内装材で使用したラーチ合板は、構造用合板の一種で、構造用合板の中では木目の最もきれいなものである。ソ連材カラマツのロールもので価格も安いし安定している。しかし下地材だから仕上げ材として使うにはためらうものもある。使えるものを選び出す作業が大変だ。材木屋がいい顔をしない。
使ったのは9ミリ厚3プライのものだ。1プライが3ミリあり、これだけあれば表面を傷つけても気にならないし、何より合板でありながら自然の感じが濃く残っているのがいい。張り方次第では非常によくなるので多少の労力は惜しくない。わかってくれれば材木屋も協力してくれるようになる。
手で触れるところは自然のものがいい。そこに住まう命が輝ける命であることを願うとき、その命の尊きものを共に想う。それを包みたいと思えばやはり自然の素材で仕上げたい。

間仕切り等にはツーバイ材工法で使うツーバイテン材を使った。材種はツガで節も遠慮なくあるがいい感じである。窓枠やドア枠も全部これを割いて使った。だから現場に入れた材料はラーチ合板とツーバイテン材でほとんどだった。内部の塗装はクライアントがやった。
(1987年)

 

竣工年 :1987年

所在地 :東京都墨田区

主要用途:専用住宅

構造  :鉄骨造

規模  :敷地面積 28.24㎡
    建築面積 24.30㎡
    延べ面積 94.29㎡

掲載雑誌:新建築 住宅特集
    婦人と暮らし ’87-12
    インテリア誌DREAM286「今、建築家は・・・」
     その他多数

TV   :TV朝日 建物探訪
     その他多数

受賞  :住宅建築賞 昭和62年
    日本建築士会連合会賞 優秀賞

 

設計という名のドラマ(新建築住宅特集 寄稿)

下町建築家の手作り住宅:奮戦記

僕は、設計から役所手続きはもちろん積算、施工、支払い等いっさいを自分でやっている。作ることが好きだからだ。設計だけでは作っている気がしないし、イメージに描いたものを作るためには、職人との生の話を織り込みながら工事まで手がけないと、どうも作った気がしない。その代わり、一棟が終わると何キロか痩せた気がするし、しばらくはなにもしたくない思いだ。しかし現実は何棟やっても体重は同じだし休みも取れない。

設計だけやっていた時期もあったが、自分の引く一本の線が現場でどうなのか、実際に現場に携わる人がどう見ているのか、またその線が単価面でどう影響するのか、ゼロと言っていいほどなにもわからないところで描いていた状態で、次第に欲求不満になってしまった。そこで現場に出て監督というより小間使いだか手配師のようなことをやり始めた。が、それでもよく見えてこない。大工に頼んで丁稚に入れてもらった。木造の全くつまらない建物だったが、実際に作ってみることで現場の匂いや職人の気質などを感じとったり、不明な点を解決させていった。現在仕事をしていて、僕自身が作ることは無理だけど、部品はよく作る。ポストや把手は毎度作っているし、オリジナルのものを作るときは、まず自分で作ってみる。自分で作れないものは図面にも描かない。そうでなければ職人に説明のしようもない。

実験住宅1は、僕の住宅兼事務所 ( Wing Hut )だ。これはほとんど自分で作った。手で探りながら、確かめながら作っている。敷地11.5坪。
今付き合っている下職たちの技術は完璧というわけにはいかない。現場に付きっきりにしていないと何をやって行くか分からない下職もいる。逆に絶えずこちらが教えられる下職もいる。皆非常にいい人たちだ。このメンバーはどの家を作るときも基本的に同じだ。日程がスムーズに合わなくても、我慢強く待つことにしている。今のメンバーの信頼関係を宝と思っている。下職たちと一緒に僕も少しずつ育ち、建築の可能性を探りながら形を作り続けている。僕の師は下職たちだ。

こういう形態を作り始めた原因は単価にある。僕に初めて仕事の依頼があったとき、坪何十万円で作ってくれ、と言われた。が、具体的経験の乏しい時期だったので、その単価だとどの程度の家にしたら良いのか皆目見当がつかなかった。せっかく作るんだったら面白いものを作りたいし、変な図面を書けばうんと高いことを言われそうだし、材料もどれが高くてどれが安いなんてこともちゃんと把握していないものだから、さて困ってしまった。みなそういう時期をどう乗り越えているのか僕には不思議に思えることだ。それも余裕のある単価だったらいいけど、標準より安いものだったから、さあどうだ、と言われているような気がした。逃げたくないし、安くても面白いものを作りたかった。よし、やってやろう、ということになって知り合いの下職に声をかけていった。直営でやればなんとかなると踏んだのだ。出た見積もりを全部集計してみると何とか出来そうだった。しかし下職たちは皆面倒臭そうな胡散臭そうな態度だった。こっちも続けて渡せる仕事のあてもなく、単発で終わってしまうかもしれないから、何とか頼み込むしかなかった。そんな始まりだった。

そして、工事が始まると現実の仕事を通して職人から教わることの多さに驚いた。中にはいい加減な情報もあるが、選択していいものだけを蓄積していった。一つのものを作りあげていく実感や喜びがあった。下職たちとの共同作業ー人間関係ーの喜びもある。それは工事をやってこそのものなので、その形態のまま今まで続いている。この「花火を見る家」ではおかげで坪〇〇万円で出来た。設計料込みである。

ポストや把手は毎度のことだが、曲面の庇(この家の眉毛)やサンルームのスライド式天窓も僕が作った。根巻きの彫刻的なハツリもやった。道路側の足場は業者がかけたが、隣地側は狭くて出来ないといってどうにも埒が開かなかったので自分でかけた。別にどうという難しいことはなかった。その業者はそれ以降は使っていない。最後の引渡し前の清掃も自分でやることが多い。その建物に祈りを込める気持ちに近い。

どんなにきれいなものを作っても、生命力を持たなければ形は死骸である。生き続ける生命力、そしてその時空に存在する力を持たなければ、形はガレキとなる。その力を持たせることができるものは、オリジナリティである。オリジナルであるための手作りの無骨さは良い。完璧な仕上がりでとりすましてしまえば、消滅があるだけだが、未完成な生命力は生き続ける。作ることにはまだ素人である僕の手が入ることも、いいと思っている。