2019年クルージング

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先日、「もう40年だよ!」相棒が感慨の思いを込めながら話しはじめた。付き合いの長さのことだ。船を降ろしてからもう40年も経っている。正確には船を作り始めてからだから43年ということになる。

今ではお孫さんも2人になった。今、ホームポート近くの内浦漁港で繰り広げられている盆踊りの輪の中に相棒のご家族の姿がある。
お孫さんの活発な様子は、前方にしかベクトルがない生命の力強さを感じると共に時の流れは決して逆戻りしないことを実感する。

でも私の時間は、戻れない悲しみを抱えながらも前へ進むことしかしないのは、戻る残酷さを知っているからだろう。
私の命は、希望というものが前方にしかないことを悲しみながらも、終わりがあるから生きていけるのだろう。
だから、きっと記憶もそうなのだ。
時間って何だ、というのが物理の難問らしいが、私にとっては時間の流れが残していく堆積物が問題だ。
堆積物は長い風雨で侵食し、辛い部分だけが固く残る。
その記憶の大地は、燃える夕焼けを地平線に落とすしかなくとも、新しい日のために不安な暗闇を耐えられるのだろう。
そしてこの百年の苦しみを1人で抱えていられるのは、見えない糸で2人で抱えているからだろう。
その耐え難い圧力に耐えていられるのは、心の地層深くでそれがいつか宝石となることを知っているからだろう。

 

物理ついでに、
原子の大きさは周りの電子の存在範囲とのことだ。そしてその中心に極微小の原子核がある。
その原子の直径を例えば1000mにした時の原子核の大きさはというと、何と直径1cmだという。
横浜市泉区にちょうど直径1kmの円形の緑地のようなものがある。

この広大な空間を原子の大きさとすると、その中心にパチンコ玉ほどの原子核があるだけだという。残りの領域は無だ。つまり原子はスカスカなのだ。
思考の3次元空間に1km間隔にパチンコ玉を配置してみたところで何もないのと同じだ。それが物質だという。
なのに机を叩けば硬く、強く叩けば拳が痛い。いったいこの硬い存在感はなんだというのだ。
この現実感覚と乖離した違和感は、物理学を探求する能力のない者にとっては量子論を聞いているようなものだ。
行き場のない疑問は、身近なところのこの体って、この生命って何だというものに向かい、それも難しい生物学ではなく安易的な拙哲学の疑問になる。
俺は何だ、どうせスカスカじゃないか、いっそのこと消えてくれればいいものを、などと思いながらも、自分はなんだという雲に隠れた山のような不明確で動かぬものが、胸の中いつもある。
その中でも隅っこに押しやられながらもささやかなる未来は、いつも遠方の灯台のようにあって、無くなるわけでもなく光が増すわけでもなかった。
消えたり灯ったりするその小さな光さえもなかったら、暗闇の海を私は生きていけるのだろうか。
静かに深いところから上がってくる一粒の油玉のような感情が、フッと心の表面ではじけた刹那、一人の寂寥が薄く広がる。

 

 

 

3日の内浦の夏祭りに間に合うように、箱根の基礎コンクリート打ちを2日に終わらせた。
鳶に東京から来てもらって総勢6人、相棒も来てくれて私を含めて8人での打ち込みになったから作業そのものは手早く済んだ。
スランプ値15㎝、水セメント比47%、強度33、量44㎥。
炎天下の作業の中で、相棒は暑さにやられてしまったようだ。

実は、基礎工事はあまり楽しくなかった。どっちかというとつまらなかった。根伐り、砕石敷き、型枠、締め固め、鉄筋を一人でやり、そしてコンクリ打設。
なぜ楽しくなかったのかと思うと、見えない仕事だからなのかとも思った。
コンクリートを打ってしまえばただの四角い平べったい石の板になるだけだ。
大変だった鉄筋工事の全部は、今生の扉の向こう側になったようなもので2度とその姿を見ることはできない。遣り方も型枠も用が終われば解体してなくなる。
だからなのだろうか。誰かに見せたいのか。承認欲求か。私はまだそんなところにいるのだろうか、などと修行僧ふうのことを言うと嘘つきになってしまう。
承認欲求は、おそらく生きている限り無くなることはないというのが本当のところだろう。
でも素直に認めたくないのは何だろう。出来上がった空間を夢見てそこで山の景色の変化を眺め音楽を聞きながらゆっくりと生きたい。そのために作っているのだから承認欲求とは無縁だと思いたいが、だがそれよりも深い心理に別の欲求があるに違いない。それが承認欲求なのかもしれない。
若い時から承認欲求から解放されたいと願っていた。しかし、それを失ったら関係を失い人間ではなくなってしまうのだろうか。いろいろあっても人間であることはやめたくないと思っているのだが、深部では仙人のようなものになりたいと思っている種が、少しだけ発芽しているようでもある。

だが実は、楽しくなかった理由に別に思い当たることがある。
この基礎の上に乗せるものにまだ納得がいっていないということ。それが本当の理由かもしれない。
考えても考えてもこれだという計画に行き着かない。年齢的な時間の制約も迫ってきたし、いつまでも決まらない自分にも嫌気がさし、もうこれでいいや、と半ば投げやりでスタートしているのだ。楽しいわけがない。

それに、実は基礎図が間違っていた。気がついたのが鉄筋がほとんど組み上がってからだったので戻る気がしなかった。
なかなか作り出す決心がつかなかった時に計画を少し縮小してみたら、ああこれでいいやと思えるものになり、その修正版をラフスケッチにして着工したのだが、なんと作り始めていたのは修正前のものだったのだ。
戻る気にならなかったのは、どうせ戻っても関心のものに戻れるわけでもないからだ。
実は修正前のものの方がいい。修正版は一人では作るのが大変なので簡易版で行こうとしたものだったが、無意識の指示なのか修正前の大変なものを作っていた。

何かがそうさせているのか、それとも脳みそもスカスカであることの証なのか。

どうであれ、クルージングの前に一つの山場である基礎工事をなんとか終わらせてとてもホッとしている。

だが、今思えばこれがミス連発の序幕だった。

 

 

盆踊りが今年は異様に盛り上がっている。
それに最近のホームポートの周りの様子がおかしい。
デコトラよりも派手にペイントした乗用車をよく見かけるし、なんだか怪しい若者が目につく。
ペイントは何かのアニメのようだ。ボディ全体を覆って描いてある。結構費用もかかるに違いないが恥ずかしく無いのだろうかと思ってしまい、本人にとっては恥ずかしいどころか得意なはずだから、人による感覚の違いの大きさをこうしてビジュアルに具体的に見せつけられると、多様化とはいえ何だか目眩を覚える。
好き嫌いの問題にとどめておくべきことだが、コスプレのまま街を歩いているようなものだと思うのだ。
彼らの持て余し気味の命の未消化部にコスプレがエイリアンのように侵入しているようで気になってしまう。

相棒に聞くとここ内浦を舞台にしたアニメがあるそうだ。あの怪しい若者たちは「聖地巡礼」をしているとのこと。
聖地巡礼? 滑稽だったがなんだか恐ろしいことを聞いてしまった気がした。
最近と言ってももうだいぶ前からのことのようだが、自分から乖離した現実が身の回りにすでに充満していることを知れされた。
そういうものが現実の全てでは無いことは当然なのだが、遠からず似たようなものかも知れないと思うのだ。
人は、何を生きているのか。
毎日会社へ行って働いて家のローンを払って、金を稼ぐだけで精一杯になり、人生の意味を考える余裕もない。
何よりもまず食っていかなければならないから人生のスタート地点は、現実の中でいかに金を得るかとなって他の選択肢はない人が多い。スタートを切れる人はまだいい。
その現実がどんなものかを検討する以前にとにかく現実の中で生きるしか無いという檻は、青年期の意欲や夢に枷をはめる。
その結果毎日会社へ行って働いてというのは、よくよく考えてみると滑稽で恐ろしいことではないだろうか。
違う生物がそのような人間の振る舞いを見てどう思うだろうか。
コスプレをした姿と大差なく見えるのではないかと思うのだ。
自分も、必死に抗いながらもそのように大半を生きてきたのではないだろうか。振り返ってみるとなんとも恐ろしい道を歩いてきたものだと思う。
強い違和感を持ちながらも現実に迎合した誠に滑稽なコスプレをして生きてきたのだ。恐ろしいことだ。

しかし、言葉にしてみると大騒ぎしているようだが、実際の脳は慣れがあるのでそれほどの危機感を持って生きてきたわけではない。
だがしかしそのことが本当に恐ろしいことなのではないか。
人権を剥奪されたところで生きている人もいる。しかし命はそんな状況の中でも生存の道を選ぶので脳はその危機感に麻痺するか無抵抗になる。
その危機感に麻痺することこそが本当に恐ろしいことなのである。
普通の生活の中では、既成概念とか常識というものがそれである。それらに対して脳が疑問を持たないことが恐ろしいことなのだ。
脳には本然の姿というものはなく、全ては生まれ出でた時からの育脳によるものなのであり、同じ脳が聖職者にも独裁者にもなりえるのである。
イスラム教の環境に生まれれば、それに対して疑問を持つことはない。それはいいのだがただ脳の悲しさは、他の宗教を受け入れることができなくなることだ。
人間が持ち合わせた脳とはそんなもので、入力次第で変更し難いどんな形にもなる。
しかし、ほとんど選択不可能な入力の結果を生きるだけではあまりにも悲しいことだ。
人間にはその悲しみを克服して自由になるための自由があり、自由は脳の初期化から始まるのであろう。
ただその自由はとても不安なものである。不安を生きる強さが本当の真実と自由を獲得するのであろう。

幸い大怪我もなく借金も返済してなんとか歩いて来れただけマシである。途中で大きな超えられない壁にぶつかった人も多いに違いない。
こんなことを考えるのは自分がこの現実の中で生き難いと感じているに他ならない。
とにかくそれをなんとか果たして自由の身となった今、滑稽なコスプレを脱ぎさる事が出来ているだろうか。人生の残り時間も手尺で測れるようになってきている。

 

 

今年の内浦の盆踊りは例の若者たちが盛り上げていたのだ。地域活性化に貢献している。
その輪の中に相棒のご家族が加わり、お孫さんもご一緒で羨ましい風景だ。私にとっては、あれほど夢見て叶わなかった風景だ。
盆踊りが終わり花火大会を堪能した。私は、夏の花火はここだけでいいと思っている。何処よりもここの花火が一番好きだ。
相棒のご家族はその日は近くの旅館に泊まった。私とゲストのS阪氏は船に戻った。
その後相棒が船に来て、S阪氏の落語会が始まった。演題は「タヌキのサイコロ(狸賽)」。大変なこともあるだろうが、軽やかに生きている人だ。

翌日はご家族と一緒に船遊びをした。

お孫さん達はヨットよりも小さく不安定なテンダーに興じていた。
その嬉々たる生命力を社会は阻害しないでもらいたいと願わずにいられない。
あの子らはどんな生涯を送るのだろう。いい社会にするための直接的な尽力は私には出来ないが、社会に迎合する必要は全くないことを示すことはしてみたい。
それ以前にその子らが現実に生きづらさをあまり感じないで生きて欲しいと願うべきか、また果たしてそれが生き方として最良なのかとも反芻して悩ましい。
ただ一つ、生き抜く力を身につけてほしいと、対象が定かではない祈りのような気持ちになった。半ば自分に言っているようなものだが。

過去には、引き籠りになってもおかしくない自分がいる。
引きこもりは現実から自分を守る術に他ならない。過剰な忍耐へのストライキ、現代の生存戦略、現代を生き抜く知恵、等々の表現を目にしてその通りだと思う。
コスプレを一切纏わない純粋な魂の、現代社会へのストライキと言えるのではないか。
そう思うとコスプレは、自分の中の貴重な部分を誤魔化すことを引き換えにして手に入れた、引き籠りから現実社会へ踏み出すための鎧なのだ。コスプレは鎧だったのだ。
純粋な部分を誤魔化さないと生きづらいのが現代だと言える。

そんな現実の中でも、長い間生きていると少なからず変化がある。
ここに来て体の変化が急速になった感があるが、それは諦観的である。それに反しメンタル面での変化には安堵的なものがある。
音楽で言えば、今までは心を高揚してくれるブラームスやベートーベンのヴァイオリンコンチェルトが好きだったのだが、最近コレルリをよく聞くようになった。
20代の頃にコレルリのレコードを買ったのだがたまにしか聞かなかった。地味でちっとも心を揺さぶってくれないと思っていたが、たまに無性に聴きたくなっていたことがあるぐらいだった。
それがここに来てその音楽に包まれているとなんとも落ち着いた気分になるのだ。
綺麗な景色の田舎で、どこかへ出かけることもなくそこで一生を幸せに暮らしているような気分。本当の幸せってこんなものかも知れないと思わせてくれる。
タバコやカフェインのように気付で聴くようなこともない代わりにふと聴くと心の底が穏やかな日差しにあふれるようだ。
そう思うと心を揺さぶり高揚させてくれる音楽は、現実のうねりの中で溺れまいと生きるために必要だったものかも知れない。
高揚感は生きることへの意欲になっていて、現実の中で心の支えになってくれていた気がする。
でも今生きるために必要なのは、コレルリのような音楽になっている。
その後期のビバルディの着飾った感じやバッハの貴族的な派手さはないものの温かい幸福感がある。
若い時には必要なものだったものが少し違ってきたのは、人生の残りが少なくなってきたからかも知れない。
そのためか不意にこの世を愛おしく思う。自然とただ一体となることに至福を感じる時がある。
でも、一方で一人が余計寂しくなる。ひと頃よく聴いていたアンドレ・ギャニオンは、一人で聞くには切な過ぎる。
おそらく、幸せな時に聞くとその幸福感をより深く掛け替えのないものにしてくれるだろうと思われるが、一人で聞くと幸福感が叶わぬ遠いものであることを知らされて深い孤独感が迫ってくる。

 

 

4日は、奥駿河湾に出てみんなでセーリングを楽しんだ後、私のゲストも相棒のご家族も帰られた。
2人になり、オイル交換、ウオーターポンプを交換した。
ウオーターポンプは特に不具合があったわけではなかったが、取替えてみるとインペラの羽の一枚が無くなっていた。
機械に強い相棒は、そういうことが勘で分かるのだろう。

いずみ荘で温泉に入る。温泉から出て貴重品入れの鍵がなくなり大騒ぎ。だいぶ時間が経ってから体の火照りがなくなると手首に冷たいものが触っている感覚があった。
エッ!まさか、と思ったがその通りだった。鍵が手首にあったのだ。
最近稀に見る自己嫌悪を味わった。これが2幕目だった。
大抵の場合はフォローしてくれる相棒であったが、その時ばかりは冷めた目をしていた。

 

5日。ポンツーンに寄って水を補給してから出航した。船のタンクを満タンにし予備にポリタンクも満タンにした。水は大事だ。

さて何処へ行こうか。二人ともノープラン。
相棒は陸の生活が忙しそうで私からはプランを出し難い、というより何でもよかった。式根へ行こうといえば喜んだし、二、三日のクルージングでもそれでも良かった。
風は南。今年はうねりが大きい。台風の影響のようだ。機走でとにかく南へ下った。

「遅くても土日には帰りたい。」と相棒が言った。まだ決めていなかったのだ。私からも話し難かった。
私の希望は相棒の負担になることは目に見えていたから全面的に相棒の都合に合わせようと思っていた。忙しそうだからという遠慮なのかもしれないが、実はそれだけではない心理が影響していた気がする。

最近、人との交渉ごとが出来なくなってきた。以前からもその傾向があったが顕著になってきた。
例えば電話するにもスッと出来ない。胸の中が酸で浸食されているような状態から意を決するようにしてやっと電話するというような感じなのだ。おそらく神経症と言われる症状と思われる。40年間ある人のことを考え続けてその人になってしまったようだ。
そのせいだけではないことも言うべきだろう。思い返すと私自身に幼少の頃からその傾向があったことは認めなければならない。生まれ持った特性なのかまたは親の影響なのか。親を尊敬できないというのは自分が人間として劣っているようでもあるし、いずれにしても嬉しいことではない。

軽微なストレスにも敏感なのは、脳科学が進化した現在、扁桃体の肥大化が原因であり、肥大化はマルトリートメントが原因であることが分かってきている。
肥大した扁桃体はストレスに敏感になり神経症につながる。
原因がわかっても親への非難につながる。だが理性の領域に戻れば親の存在を有り難いと思うし、親自身も生を全うしたであろうと思うことができるからまだ救われているが、個人としては消せない重い負担である。
そして、なんとかそれを克服したと思うと山体崩壊してしまうような悲しい出来事に出会う。
いつも水面下にいるような気分。ふと偶に水面上に出ることがあると、ああ普通はこんなにも息が楽なのか、と思う。
交渉ごとなどと大ごとでなくても相棒との軽い疎通でさえもスッとできなくなっている。
反面、裁判を本人訴訟でやったりする。自分がよく分からない。
青年期に「強い者には強く、弱い者には優しく」というのが男の道と思って生きていた果実が、長い間に干からびてきた姿なのかもしれない。

 

 

松崎に寄ってみた。今まで入港した事がない。舫が取れるのは河口しかないが、水深が浅いとも聞く。
しかし実際に停泊したという人もいるので寄ってみるとすでに1艇舫っていた。入れそうだ。取り敢えずその後ろに舫った。
港という感じがないのは河口だからだろうが、それにしても何も無い。
うねりもかなり入ってきて船が揺れる。停泊するには不向きだった。街へ出るでもなく他の港へ行くことにした。
この先となると岩地だ。何度も行き良い港だが、係留料を取られる。

浜辺に設置してある廃船を利用した温泉に入り、アイスを食べた。
店のおばさんと相棒は一頻りお喋りをしていた。相変わらず相棒の会話能力はすごい。相手が話に乗ってくるのが目に見える。少しでもそれを学ぼうと思った事があるが、今では半ば諦めている。
野菜の行商が来たのでトマトを買った。

海の夕暮れの光は、明日のことよりももっと遠く、自分の将来への想いを彼方へ連れ去り、私はそれを追いかける。

その夜は、スーパーで買っておいた洗うだけという蕎麦に冷たいままの天婦羅をのせて食べた。
ちょっとでも温めたほうが良かったと少し後悔した。
私はこんな食事に慣れているが、文句を言わない相棒に申し訳ない気がしたのは、相棒が今回のクルージングにあまり気が乗っていないようなのが気になっていたのが底辺にあったからだろう。

翌朝はいつもの朝食を済ませてから石廊崎へ向かった。うねりと風は昨日と同じだ。台風の影響はこの航海中続くようだ。

 

石廊崎は槍付になるのでアンカーロープをロッカーから出してアンカーにセットした。3幕が始まっていた。
一度ロープ全長を解いてアンカーを落としたときに絡まないようにした。岸に近づきアンカーをレッコした。
艇速が落ち相棒が岸に移ろうとしていたのが目に入る。ここでアンカーを引いて艇速を止めなければならないのだが、絡まないように気を取られていて引くのが遅れた。
すでに相棒が岸に移ってバウを岸にぶつけまいと、応援に駆けつけてくれた女性と二人で渾身の体でパルピットを押している。
慌ててさらに引きを入れたが艇速を止めきれずゴツンとバウが岸にぶつかった。
なんだか頭の中で手順が抜け落ちていたりして綺麗に並んでいない。
温泉での自己嫌悪感がよみがえった。

女性はすぐ上の食堂龍宮の女将だった。
龍宮に寄り、昼食にそうめんを作ってもらった。夕食の予約も入れた。

何年かぶりに石廊崎の灯台へ行く。
断崖のくぼみにはめ込まれているような石室神社でお札を買った。
センターに戻りガイドをしている女性への質問は相棒の会話劇場の入り口だった。

船に戻ってから蛇口をひねると水が出ない。
ポンプ音はしているから水が空になったのかと思ったが出かけるときに満タンにしたはずだ。

スターンステップでシャワーが使えるようにと蛇口をつけたが、そこから水が漏れていたようだ。
アンカーロープをセットしているときにコックを引っ掛けたらしいが、エンジン音で気がつかなかった。
大事な水をなくしてしまった。4幕だ。

 

龍宮に6時に食事の予約を入れておいたので行く。

 

翌朝、龍宮で水をもらう。

突然エンジンのビー音がけたたましく鳴った。温度の警告ランプが赤く点灯している。
階段を外してエンジンを見るとウオーターポンプのホースが外れて水が吹き出ている。
船底にはすでにかなりの水が溜まり湯気がこもっていた。エンジンを止めホースを戻し垢を掻い出しした。
出掛けにウオーターポンプを取替えてホースを戻したときにホースバンドを閉め忘れたのだ。
私も側でずっと見ていたが気がつかなかった。立て続けの5幕目だった。

 

石廊崎の狭い入り口を抜けて外に出ると、相変わらずうねりが大きい。
風は同じく南。台風が来ているし、日程的にも島は無理だし、下田行きもあまり関心が向かない。伊豆半島の南端に来たから気が済んだ感もある。なんとなく帰路を辿りはじめた。

このまま帰るのも味気ないので駿河湾の中央の一番深い所あたりまで行ってみようかということになった。
しかし行ったところで一番深いというだけでそこに何かあるわけでもないし、ちょっと寄ってみようという距離でもなかった。
あまりいいアイデアではないということになり、途中まで行って舵を帰路に向け直した。

再度岩地に寄る事にした。

港に近づきエンジンをかけセールを下ろした。それは港に入る寸前のことだった。
再びけたたましいビー音が鳴った。またしても温度の警告ランプだ。しかしホースは外れていない。
まずい!。背中にすこし電気が走ったような気がした。

慌てた相棒は、眼前の防波堤の外海側でいいから釣り人に舫を取って貰えという。
しかし外海側の防波堤はタッパがあり登れる高さではない。舫を釣り人に渡したとしてもどうしようもない。それにうねりと風に押されてハルがもろに防波堤にぶつかる。揉まれて船を壊しかねない。港内に入るべきだ。
防波堤の先端を回って港内に入るようバウにいる私は手を大きく回して伝えた。

港内に入り船を防波堤に横付けした。

相棒はウオーターポンプの分解に取り掛かった。
プーリーの軸穴が広がっていた。プーリーだけが回って軸に擦れて穴が広がったようだ。
取替えた時に取付け方が万全ではなかった、という事のようだ。6幕目だった。いつまで続くのか。

広がった穴に針金を円形にしてブッシュ代わりにしたものを入れて応急処置をした。
なるべく風だけで走るようにして出入港時だけの短時間の使用であれば大丈夫であろうと思われた。
締め付け部分の油分を取り摩擦を高めればなんとか耐えてくれるだろう。

しかし相棒は違った。

 

翌朝になって、相棒は長浜まで取りに行くと言う。
取り替える前のウオーターポンプが車にあるからそれを取りに行くと言うのだ。
インペラを取り替えれば使える。それをレンタカーを借りて取りに行くと。

ここが島だったらどうするだろう、という思いが頭をよぎった。
しかし相棒の思考の中にはすでに焼きが終わった設計図のようなはっきりしたものがあるのが目に見える。おそらく一晩中考えていたのだろう。
私にはそれに変更を加えることができるほどの代替案もなかった。大丈夫だと思うよ、ぐらいでは相棒は納得しないだろう。
これ以上のミスを繰り返したくもなく、また万全の道を選ぼうとする事に異存はないのだが、ただ万全過ぎないかなどと思ったりするが、応急処置の状態で海に出るリスクを冒してまで成し遂げたいと思うことがあるわけでもない。
だがしかし、どんな時も万全を敢行できるとは限らない。そんな時を想定してこの状態を乗り越えていくことをしてみたい、とも思ったりした。性格の違いが出るときだ。

当然、相棒の設計図に従ってことは進んだ。私は留守番をした。
おそらく、私がレンタカーで取りに行って、相棒は修理をという役割分担を期待したと思われる。
その展開が一番いいことは分かっていたし、いつもだったらそうしていた。
しかし何故だかゴロタ石の浜を歩いているようで思うようにそうならなかった。

思いの外相棒は早く戻ってきた。

修理は完璧に終わった。完璧に拘ったのは性格もあるだろうが、おそらくミスの連続を断ち切りたかったのだろう。

これで終幕を迎えてくれていればいいのだが。

 

外海には依然としてうねりがあった。いい感じの風もある。
セールを上げた。手順を一通り頭に描いてみてからだったから完璧にこなした。
私もミスを挽回した気分になった。
ウイスカーも使って観音開きで快走したが、プレーニングするにはもう少し風が欲しかった。

大瀬崎を回ったのは6時ごろだった。

ホームポートに着く頃は夕暮れが迫り、アンカーを繋いだ時は暗くなっていた。

金曜日だから、明日ゆっくり帰ろうと思っていた。
しかし相棒は何やら忙しく動き回っている。帰り支度だった。
いろいろあったから船にいることがストレスだったのかもしれない。
誰かが待っているかのようにして帰って行った。

 

翌日私は、船底に残っているアカをきれいに掻き出し、船内を少し整頓して、オーニングをかけ、壊れたウイスカーを修理のために持って帰るのでトラックに乗せ、昼頃に船を離れた。
温泉に寄ろうと思っていたが、温泉と帰路の分岐点に来た時、帰路へハンドルを切っていた。どっちでもよかったのだ。その時の体の動きに任せようと思っていた。なので帰路を選んだ理由は自分でもよくわからない。
アクセルを踏み、エキゾストの音に何故だか寂しさを感じた。

 

 

海から戻って、基礎周辺の工事を始めて、ああ、と感じたことがある。
時折病み上がりの時に感じていたことなのだが、体が効くということそのことが嬉しいと改めて感じたのだ。
この歳になってからの新しい喜びと言える。膝が痛い、肩が痛い、腰が痛い、等々その都度何かあるのだが、特に大きな不自由もなく体が動かせるということが有り難く思える。
脇腹を圧迫して脾臓あたりが痛くて暫く力を入れる事ができなかったが、それもいつしか感じなくなっていた。

上に乗せるものに悩むのも大いに結構。ヨットにも乗れて家も作れるこの体が、諦観の中であっても大した不自由もなく動かせる事こそが嬉しい。
体を動かして健康を維持することこそが箱根プロジェクトの大きなコンセプトだったことを改めて掲げ直すことになった。

ミスぐらいどうと言うこともないじゃないか。ミスの連発で加齢を否応なく意識してしまったが、あまり気にしないのが一番いい。
そんなやさしいボサノバのような風が心の中に吹いた。

さて、命が絶えるまではまだしばらくありそうだ。母が生きた歳まではあと30年もある。店じまいの準備にはまだ早い。

しかし最近、前述したがいろいろ有ったにしても妙にこの地球が愛おしく感じる。
ひょっとしてそんなに時間はないのだろうかと思ってやばい。
せめて箱根のプロジェクトを完成させ、そこで音楽を聴き、そして国内外旅行もしたいものだ。ヨットもまだまだ楽しみたい。
相棒の奧さんに「元気?」と聞かれて「元気というものがどういうものか知らない」とちょっと素っ気なく答えたが、
これが元気というものなのだろう。
斜めに答えたのには、何か訳があった気がするがよく分からない。
奥さんが何かしら元気無さげに見えていたけど、聞く雰囲気でもなく、普通の返答ではいけないと思ったのかも知れないが、
届かぬはずの的に矢を射ってしまったような気もした。

 

暇なヨットの上で考えたことがある。
よく理解できないのが偏西風だ。地球の自転を追い越している。
北緯30°付近であれば地表は時速1400kmを超える猛スピードて東へ動いている。音速の4倍だ。なのにそれを追い越しているのだ。その理屈がわからない。
大気の対流とコリオリの力によるものという解説を読んでも、だからなぜ地球の自転を追い越すのか。そのエネルギーの源は何なのか。
低高気圧の場合は渦だから理解できるから、それをもっと大きな渦と捉えればいいのか。
相棒に聞くと、「貿易風と偏西風があってだな・・・」と話し始めたが、説明するのが面倒なのか、風でページがめくれてしまったかのようにフッと説明が途絶えて、キャビンの空間に負圧が残った。
なんでも知っている相棒でも仔細な説明は出来なかったのかも知れない。

 

まだ金曜日だったが恋人にでも会いに行くようにして帰っていった相棒の、恋人がいればそれでいいがそうではないので、今回のクルージングにあまり気乗りしていなかったことが、置き手紙のように気になった。

 

 

終わり

 

ps. 箱根に戻ってからも幕は続いた。